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岩を雑に削ったような塊がいくつも積み上がっている。
その岩が連なって真ん中に長方形の空間をつくりだしていた。
そして夜が深まって冷えきった石の隙間から入ってくる風は酷く肌を刺激する。
唯一の明かりは机の上にある閃鎮灯だけだ。 閃鎮灯とは魔術を特殊な丸いケースに収めて光を放っているものだ。それは初歩の魔術で明るくするが、温かさはない。しかし、なんとなく温かいと思い込んでしまえる程、その部屋は暗闇に満ちていた。
その暗闇にはポツンと木製のベッドとアンティークにもならないような古びた椅子があった。
質素な、というよりどこか生活感のない部屋のその古い椅子に一人の女性が顔を伏せて座っていた。黒い髪はその暗闇に乗じるようにますます黒を深める。その身にはロンデンディア協会から支給される白を下地とした服を着用していた。
彼女は不意に顔を上げて岩でできた部屋にある一つの扉をじっと見つめた。
暫くするとその扉がギィと音を立てて開かれる。
「アキノ、仕事よ。」
その扉から現れた人物はその声の高さからしてどうやら女性らしい。
「そうですか。」
「あなたは私の下についたんだから一応しらせてあげようかしらと思ってね。それにしてもこの部屋はあなたにはお似合いね。」
冷たい空気が震え、その言葉はアキノの耳に届く。その振動にわずかに身じろぎする。
「まさか、あなたに入ったって思っている訳じゃないでしょうね。」
アキノはそれに沈黙で返した。
「私が優秀だから入ってきたのよ。本当になんであなたなんかこの由緒あるロンデンディア協会に入れたのかしら。シュエアルト魔術学園でも成績は下だったそうじゃない。まったくガラシア様の温情に感謝することね。」
毎年、協会は魔術学園から何人か選出する。
そして選出された人間は協会のある程度実力がある人間の下に付く。 所謂、師弟の間柄になるのだ。普段は上位の何人かを取るのだが、今回は何故かアキノのような頭も技術も中くらいの生徒を選んだのだ。
トレアラスの下についたことはいいのだが感情の起伏が激しかった。特にトレアラスは自分より技術も家柄もなにもかも劣っているアキノを蔑んでいた。
「それでどんな仕事なんですか。トレアラス上官。」
アキノは椅子に座ったまま聞く。
その淡々とした様子に頭にきたのかトレアラスは右手でアキノの胸倉を掴んで、左手でアキノの右頬を叩いた。その衝撃の許すままにアキノの顔は右にそれた。それを見てすっきりしたのか鼻で笑い、嘲笑しながら毒を吐くために口を開いた。
「こんな成長もしなさそうな小娘を私につけてガラシア様は何を思っているのかしら。もし、ガラシア様が直々に私に頼まなかったらこんなものでは済まされなかったわ。覚えておきなさい。仕事は明日の朝、ガラシア様からお話があるわ。」
と言ってトレアラスはさっさと扉を開け放ったまま出て行った。
これを言うためだけにここにきたのかと少々呆れながらアキノはますます空気の循環が良くなってしまった部屋にため息をつきながら椅子から降りた。










「トレアラス、アキノ。両名に任務を与える。」
アキノはその声に主に頭を下げ跪いていた。


どうやら昨日トレアラスが言いに来たことは本当だったらしいということは朝に判明した。
一着しか支給されていない服を身につけて、急いでこの大海堂に来たわけだ。
大海堂とは海のように青く不思議な色をしている部屋だ。この青もどうやら魔術で構成されているらしい。らしいと言うのもこの間廊下でそのような話をしている集団から聞こえたものだからだ。アキノにはどう成っているかさっぱりわからない。その色を観察する暇もなくガラシアが現れた。
中央に向かって直線上にガラシアが座るためのアキノの部屋とは対照的に値段が張る石を使ってある椅子が設けられている。特別な部屋で主にガラシアとの謁見や祀りごとをするときなどに使われるのだ。まさに今声はそこから聞こえてきた。


「双方、顔を上げい。」
その声に従いゆっくりと顔をあげた先にいるのは、元は鍛え上げられた肉体があったであろう形をしている衰えた人間だった。
白髪に顔には今まで生きてきただけの皺の数が刻まれている。その顔はどこか自分を過信している傲慢さが見え隠れしていた。その老人といって差し支えのない男はこの協会で最大の権力を保持しているとされているガラシア・テオドールだ。
「最近、魔物が湧いて出ておるのを知っておるな。それをこのロンデンディア協会が始末しておったが、やっとラムサ王もこれに気づいたらしく協力を願い出てきた。それにお主らが同行してほしいのじゃよ。トレアラスの位も申し分ない。そしてアキノを育てる機会にもなるであろう。行ってくれるな。」
「御意でございますわ。ガラシア様。」
ちらりとトレアラスを窺うとうっとりしたような表情を浮かべていた。
この女は心底ガラシアに心酔しているのだ。この男がこの部屋の色を血色だと言えばそうだと肯定するほどに慕っている。それをガラシアは上手く利用しているのもアキノにはわかっていた。
「アキノの方はどうだ。」
この男は厭なタイミングで振ってくる。
アキノが否定してもトレアラスが上官なわけなのだからこの任務断れる筈もないのだ。だが、何を思ってか選択権が与えられたように聞いてくる。
「もちろん、受けさせてもらいます。」
苦々しい思いを声に出さないように努める。
「ふむでは、今日は一日休養すると良い。明日、王城から使者が来るらしいからそれまで準備をしておくのじゃ。必要な物があればそうだな・・・・・マラクに言うといいだろう。マラク、よいな。」
「御意に。」
先ほどから横に控えていた男が返事をする。
それを確認してガラシアは奥に下がっていった。椅子の後ろに扉があるらしくそこから別室につながるようになっているのだ。
それを三人とも見送ると、肩口まである青い髪を揺らしマラクと呼ばれた男性が近づいてきた。
「何か必要なものがあれば私に言い使ってください。用意しましょう。」
優しく微笑むその顔はガラシアに仕えているとは思えないほどに澄んでいることにアキノは僅かに驚いた。その気配に気づいた男は苦笑する。
「アキノといいましたね。私はマラク・テオドールと申します。以後お見知り置きを。」
「テオドール・・・・。」
「そうあの人の孫ですよ。トレアラス様はもうご存じですよね。すいませんが、少しアキノと話したいので席を外してもらえますか。」
「あら、私がいると何か不都合があるのかしら。」
媚びるようにマラクを見るトレアラスは自分を差し置いて、しかも自分よりよほど格下のアキノを個体として認識されたことに嫉妬していた。そしてそれがガラシアの孫だということが拍車をかけている。
「いえ滅相も。しかし、貴方様のようなこの協会において高い位置におられる方がまさかガラシアの孫である私の話を聞くという無粋な真似はなされない筈です。」
マラクは丁寧にしかし、拒否は許さないような言い方でトレアラスを黙らせた。
「っつ!わかりましたわ。では私はここで失礼します。アキノ決して私の顔に泥を塗るようなことは言わないことね。」
と最後に恥辱で真っ赤な顔でアキノに向かうとトレアラスは足早にその部屋から出て行った。
トレアラスが大海堂から遠く離れたことを確認するとマラクは静かに佇まいを正し、アキノにまっすぐ視線を寄こす。
一瞬その視線に何もかもが見透かされているのではないかとドキリとしたアキノだが、それは次の瞬間杞憂に変わった。
「ガラシアはあのトレアラスの癇癪をあなたに向けて、こちら側に被害が来ないようにするためだけにあなたを協会に入れたのです。あの癇癪さえなければトレアラスは優秀でしたから。それには成績が低いことと、ガラシア自身があなたをトレアラスに付けることが条件でした。そうすればあの煩わしい癇癪が協会への不満ではなく、全てあなたの方向へ行ってくれるとね。それに偶然アキノが選ばれたのです。すいません。」
急に何か後悔しているような声で語り始めたマラクは最後の言葉を言い終わるとアキノの前で頭を下げた。
流石にアキノは焦った。
「頭を下げないでください。私こそこの由緒ある協会に入れたことを誇りに思っているのです。偶然だったとしてもとても幸運なことと思っています。」
「しかし、あなたは利用されているんですよ。それに由緒あるといっても今の協会はどう考えてもおかしい。おじい様も何を考えているか分からない。」
それを言った途端、アキノは大きく動いて人差し指をマラクの唇に当てた。
「それ以上言ってはいけません。」
「あなたは何かを知っているのか。」
それに驚いたマラクは思わず疑問を口に出してしまう。
「いえ、何も知りません。しかし、言霊は真実に成りかねない。」
今度はアキノがまっすぐと至近距離でマラクを見つめる。
「それはどうゆう・・・・」
意味と続けようとした言葉はアキノの笑みに消されてしまった。
「マラク様。私はこの服、一着しか持っていません。戦闘用の服が欲しいのですが、やっぱり私みたいな下端じゃあ貰えないのかな。」
「は、え、あ。」
急な変わり身にマラクは驚愕して言葉にならない声を発する。
「あと、私は魔術があまり得意ではないので結晶を貰えたら嬉しいのですけど。」
結晶とは魔術の才がないものでも魔術を使えるようにその力を結晶に固めたものだ。
しかし、作れるのは中級の魔術師以上となってしまうので、良い物は少し値が張るのだ。そして一度使えばなくなってしまう。アキノはこんな機会は滅多にないとマラクに頼んだのだ。
「え、え、ええ、用意しましょう。」
未だ要領の得ない頭の中でなんとかその言葉だけを返す。
「マラク様、大丈夫ですか。」
「ああ、午後にはもう用意できていると思うからあなたの部屋に届けさせます。」
マラクは何か引っかかるものを抱えてはいるがそれが何か分からないでいた。仕方がないのでアキノとの会話を続ける。
「ありがとうございます。お話はこれだけですね。」
「ええ、引きとめてすいませんでした。」
「いえ、では私はこれで。」
そう言ってアキノはマラクに背を向けて出て行った。







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